お義父さんが大腸がんになってしまった話は前回お話しました。
本人は手術なんてこの年でしたくないと言いましたが、腸が癒着して便が通らなくなるところまで悪化していたので、今生きるためにはどうしてもOPするしかなくて。
頑張ってOPしたものの、リハが思うように進まず廃用症候群になってしまいました。
それでも家に帰りたいと希望を持っていたのですが・・・
今回はその後の経過をお話したいと思います。
- 自宅療養が難しい理由
- お義父さんの経過
- 現在の様子
についてお話します。
良かったら読んでやってください。
自宅へ帰ることは難しそうです
お義父さんはほとんど地元から出たことがないくらい、とっても地元を愛している人です。
好きすぎて、地元に関する本を出版したくらいです(笑)
ご近所には同じくらいの年齢のお友達もいっぱいいて、囲碁や将棋をしたり、モーニングに行ったりとのんびりした生活を楽しんでいました。
80歳になるパーキンソン病を持つお義母さんとも支え合いながら生きてきました。
それが突然「がん」とか言われて、お友達と話もできぬまま、あれよあれよといううちに入院生活となってしまった。
お義母さんのことも心配で心配で仕方がない。
あの何でもない日々を取り戻したい。
そんな思いで、ただ家に帰ることだけを考えてリハビリを頑張ってきました。
ですが現実問題、
- 歩けない
- ベットから車いすにも移乗できない
- オムツになってしまった
- 要介護3
- 自分で人工肛門のパウチ交換ができない(処置もできない)
という本人の問題に加え、一緒に住んでいるお義母さんの問題もある。
- お義母さんも80歳という高齢
- もともとパーキンソン病を患っていて、動けない時間帯がある
- 加えてお義母さんも腰を圧迫骨折してしまい、廃用症候群になってしまった(要介護4)
私たち家族も一緒に住むことは難しいし、サービスを利用するにも1日中見てもらえるわけではないので、現実的ではない。
お義母さんはまだまだ腰が痛くて自分のことで精いっぱい。
精神的にも辛いようで、お義父さんの受け入れを拒否しています。(現実問題受け入れは無理なんですが、それ以上に拒絶しています)
頭はしっかりしている2人なだけに、どちらも辛いです。
お義父さんの経過と現状
最初にお話ししますと、現在お義父さんはとても良くない状況です。
全く当初とは違った方向へ話が行ってしまいました。
お義父さんの経過は次の通りです。
- OP後急性期病院→地域包括ケア病棟のある病院へ転院(前回のお話)
- 包括ケア病棟の期限が来て一旦退院→再入院
- 介護老人保健施設申し込み
- がんが再発
- ホスピスに転院予定
地域包括ケア病棟に再入院
地域包括ケア病棟には60日しか入院できません。
これは病院側の診療報酬の問題ですが、決まりなので仕方ありません。(60日を過ぎると劇的に点数が下がってしまうので)
でも、全く家には帰れそうにないし次の所も見つかっていないので、一度退院して再度2か月入院させてもらえることになりました。
もう少しくらいは歩けるようになるかな・・・という期待もありました。
病院スタッフからの提案で「夕方4時に退院し、次の日10時に入院する」という裏技でやり過ごすことになったのです。
でもこの1泊2日すら、めちゃくちゃ大変でした😫
たった1泊2日の退院がめちゃくちゃ大変だった話
- 家に入るまでに急階段がある→男3人がかりで持ち上げる
- 車いすからベッドへの移乗が難しい
- 真夜中のオムツ交換
- 日帰り外泊していたお義母さんも手がかかる
この日はGWだったので、遠方からお姉さん夫婦も帰ってきてくれました。
みんな揃うならと入院していたお義母さんまで日帰り外泊してしまい(みんな止めたのに💦)意外とこちらにも手がかかるという😅
看護師さんたちは4時直前にパウチの交換を済ませ、オムツも処理して、できるだけ家族に負担をかけないようにと準備してくれていました。
本人は嬉しくてルンルンです。
介護タクシーで車いすごと家に送ってもらったのですが、ここで難関!
家の前にものすごく急な10段ほどの階段があるんです。
お兄さんと夫だけでは車いすごとお義父さんを持ち上げることができず、介護タクシーの運転手さんと3人がかりで玄関まで持ち上げました。
もし帰って来るなら、ここにリフトを付けたり、庭を大改造してスロープを造らないとデイサービスにも行けないなということがわかりました。
家には介護用ベッドをレンタルしていたので、快適に過ごせました。
介護認定がおりていなかったので、自費レンタルでしたが1か月2000円ほどでした。
ただ、車いすからベッド、ベッドから車いすへの移乗が非常に難しい。
お義父さんも頑張りはしますが、やっぱり足に力が入らない。
素人が支えるので危なっかしいったら。
夫のように体の大きな男性でも、コツを掴んでいないと介助って難しいですよね・・・
そしてオムツ交換。
私に交換させるのは申し訳ないと言って、夫とお姉さんとで交換しました。
本人は「夜中は無い」というのですが、看護師さん曰く夜中にも交換しないと朝、大変なことになってしまうほど出ているとのこと。
お義父さんは替えてもらっていることも知らない様ですね。
夜中もタイマーを仕掛けて姉と2人で交換したようです。
そして帰りも3人がかりで玄関から車いすごとお義父さんを移動させ、介護タクシーで病院へ向かいました。
短い時間でしたが久々に
- あんぱん
- インスタントラーメン
- からあげ
- タバコ
をほんの少し楽しむことができ、満足している様子でした。(いろいろ用意した中からチョイスしました)
管理栄養士としては「アカンもんばっかり。。。😥」とは思うところですが、たくさんじゃないし、久々だし、次いつ口にできるかわからないのだからOKということで。
(もともと私は甘い管理栄養士だしね😅)
それにしても・・・
こんな短い時間だったのに、「介護って大変だ」とみんな疲れてしまいました。
地域包括ケアの次を探す
4か月もの間、地域包括ケア病棟にお世話になったのですが、結局足はそれほど良くならず、家には帰れそうにありません。
お義父さん、頭はしっかりしているので絶対に施設とか嫌だろうな・・・
どう説得するかはさておき、私は頼まれて「介護老人保健施設」に申し込みに行きました。
介護老人保健施設
介護を必要とする高齢者の家庭への復帰・自立を目指す施設
同じ介護老人保健施設でも施設ごとに内容は違うと思うのですが、私が申し込みに行ったこちらの施設の特徴は
- 病院に隣接しているが、ここは介護保険を利用した別の施設
- 医師は精神科医1名常駐 隣接の病院と提携はしているので何かあっても対応は早い
- 病院に比べるとリハビリの内容は少なく、足は「良くなる」というより「現状維持」を目指す
- 介護保険を使用し、サービス・生活費・食費込みでおおむね月13万円くらい掛かるが、病院のように追加で必要なものは無い
- 入居期限は特にない
- 「看取り」も行っている
- 本来家族の面会は自由だが、コロナ禍のため制限あり
こういった説明を1時間ほど受け、そのまま申し込んできました。
現在1名入居待ちとのことでした。
がんが肝臓に再発してしまいました
そんな矢先に入院中の病院から電話が。
お腹が痛いというので、転院も近いしと思い一応CTを撮ったらがんらしきものが写っていると言うのです。
すぐに話を聞きに行くと、肝臓にぼんやり影ができていました。
「家に帰って好きなように過ごすか、大きな病院で治療をするか。でもここでは何もできません」
恐らくお義父さんはもう治療はしないと言うだろうが、治療をするかどうかも含めて、ちゃんと検査をするために大腸がんのOPをした大きな病院に検査に行くことになりました。
短期間で進んでしまったステージ4の肝臓がん
確かに大腸がんは取りましたが、先生は「骨に残っているかもしれない」と言われていました。
でも85歳という年齢から、もし残っていても数年は大丈夫だろうと言う感じだったんです。
包括ケア病棟に転院してきて最初に撮ったCTの肝臓も綺麗でした。
今回造影剤を入れてしっかり行ったCT検査の結果は、素人目にもわかるほどに肝臓がボコボコとしていました。
肝臓全体にがんが広がっています。
先生も「この年齢でこんなに早く進むなんて・・・ステージ4と言っても4になったばかりのものと本当の末期があって、これは明らかに末期です」と驚かれていました。
もちろん「やってみたい」と言うなら用意するが、抗がん剤は外来で行うので家族が総出で見守る必要がある。
治療するなら介護老人保健施設や今入院中の病院でも難しいと思う。
その辺りをみなさんで話し合ってください。
黄疸が出たら1週間も持たない。
これはいつ起きるかわからない。
お家が難しいようならホスピスという選択肢もあるので、相談してください。
今後のことをいろいろ考えてはいましたが、こんなに急に終わりが見えてしまうと、全てのことを考え直さないといけない。
介護老人保健施設への入居は一旦保留
友達にも会えないまま入院となって、家のことも放ったままで、絶対帰りたいよね・・・
告知
本人はお腹が痛いのは通り過ぎ、食事も食べて元気そうにしていたのです。
検査には行ったけど、「大丈夫やったわ」という言葉が聞けると思っていた。
どうするのか・・・
結局。
夫も姉も真実を伝え、自分でこの先のことを決めさせてやりたいとのことでした。
私はお義父さんのことをそれほど知らないので、本当に伝えてしまって良いの?!という思いはありましたが、血のつながった家族がそういうのだから、黙って見守ることにしました。
もちろん今まで以上にお義父さんは落ち込みました。
選択肢として「ホスピス」という言葉を聞いたとき、もうダメなんだということを悟ったようです。
治療はやっぱりしないとの決断でした。
ホスピスか今の病院で過ごすか
現在お世話になっている包括ケア病棟のスタッフからは、もう一度一旦退院して再入院でも構わないよと言っていただきました。
慣れたこの病院で最期を迎えるのも一つの選択です。
もちろん家に帰らせてあげたいけど、状況としては難しい。
「退院でも外泊でも、帰るなら今しかないかもしれません。」
地域連携室のスタッフからそうアドバイスをいただきました。
ただ、この病院はコロナ禍で面会が厳しく制限されていて、入院中はお友達とは会えない。
それに家からも遠いので、高齢のお友達がここまで来るのも難しい。
ホスピスなら人数制限はあるものの比較的容易に面会でき、家からも近い。
外泊もしやすいらしい。
お義父さんはこの病院の看護師さんをとても気に入っていたんだけど、会いに来る家族やお友達のことを考えて、ホスピスに行くことに決めました。
そして夫は外科医に紹介してもらい、系列のホスピスに申し込みに行きました。
空き次第移れることになりました。
来週転院します
病は気から
告知のせいもあるのかもしれませんが・・・
先々週あたりから食欲がなく、濃厚流動食や高カロリーゼリーを摂っているようです。
各メーカーからいろんな商品が出ていて、ドラックストアや通販で買うことができます。
でも、それもほとんど摂取できていないお義父さん。
痛みも出てきて、麻薬を開始しました。
ほとんどベッドに横になっているそうで、状態も良くありません。
そんな中、やっとホスピスのベッドが空いたようです。
酸素を用意して、ストレチャーでの転院となるそうです。
切なすぎます。
思うこと
管理栄養士として、NSTスタッフとして、今まで末期の患者さんともいっぱい関わってきましたが、家族となるとやはり同じようにはいきませんね😢
最期もいっぱい見てきたけど、身内は辛すぎる・・・
小さくなっていくお義父さんに夫は「もっと栄養入れてもらわな」と言うけど、栄養はがんを育てることもあるからね。
栄養を入れて体が頑張ったらお義父さんがしんどい思いすることもあるから、先生によってはむしろ栄養を絞っていくこともあるんだよと話したり。
あの日、
無理やり検査を受けさせ即入院、即手術になって、お義父さんに何も選択させてあげれなかったことを後悔している夫。
でもあれは仕方なかったんだよと慰める私。
最期についての話をする日がこんなに早く来るとは思わなかったです。
まだ少しでも動けるうちに、お義父さんのやりたいことさせてあげたい。
まずはお友達に連絡しないとですね。
家にも帰らせてあげたいな・・・
急がないといけません。
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